こんな時代もあったねと
2004年11月3日細木数子が虎視眈々と流行語大賞を狙っている中、俺は今日も仕事でした。
よってネタが無いので、今日は俺がマジックを始めた時の事を書いてみようと思います。
俺がマジックを始めたのは中2の冬でした。クラスメートがやってるのを見て面白そうだと思ったのがきっかけです。
俺もやってみようと思ってそいつに聞いた所、「スターター(今で言うところのトーナメントパック)とブースターがあればとりあえずはゲームが出来る」との事でした。
中学時代に俺が住んでいた地域ではマジックが売っていなく、通販という行為を知らなかった為、休日に長岡辺りに買いに行く事くらいしか入手する手段はありませんでした。
しばらくしてなんとかマジックを手にした俺は、早速学校で同時に始めた友人とデュエルをしてみました。お互い第5版のスターターとブースター1つずつで組んだデッキなので、当然ナチュラルに5色。早く色マナを揃えた方が勝ち。要は引きゲー。
俺らも馬鹿ではなかったので、追加の基本地形が必要と判断。しかし、この頃はスターターを買うかトレードしてもらうかの2択。流石に後者を選択する事に。
それで身内で一番の古参の奴に頼んだのですが、そいつは足元を見る男でした。基本地形10枚とヴィーアシヴァン・ドラゴン(注1)をトレードさせられた奴もいます。まあ後で価値を知って相当怒ってましたが。
これが俗に言う新規プレイヤーへの「洗礼」という奴です。
別名「シャーク」とも言います。
そんなこんなで時は過ぎ、皆2色や3色でまとまったデッキを作るようになっていきました。
それでも初心者でよくありがちな勘違い、ファッティこそすべてな構築は随所に見られました。「甲鱗のワーム(注2)こそ最強」、っていう時代でした。確かこの頃テンペストが発売しました。
マジック界に大きな衝撃を与えたメカニズム「シャドー」。それは俺らにも大きな衝撃を与える事となったのです。
ダウスィーの殺害者(注3)。ファッティ神精神の俺らにとって、2ターン目に出たコイツは悪そのものでした。頑張って甲鱗のワームを出してもブロックできません。むしろ出す事さえ叶わなかった事も何度もありました。
そして俺らのファッティ神という構築理論は音を立てて崩れて行きました。代わりにシャドー神という構築理論が生まれました。
相手のシャドーは拡散の壁(注4)に強化エンチャントを付けて止め、自分はシャドー同士の戦闘で勝てる生物(サルタリーの槍騎兵(注5)等)で殴るというものです。
そして「シャドーは火力で焼けばいい」という至極当然の事実に皆が気付き始めた頃、俺らの周りで5色デッキが流行りはじめました。
俺らルールでは何故か、無色マナ=好きな色のマナだったので簡単に5色デッキが組めました。
隠れ石は好きな色マナを出しつつクリーチャーに変化、不毛の大地は好きな色マナを出しつつ相手の特殊地形を破壊。強すぎですね。
そうなるとアダーカー荒原等のペインランドはどう説明するのか?っていう話になります。俺らの解釈はこうでした。
アダーカー荒原を例に挙げると、
好きな色マナは出るが、白と青のマナを出した時のみ1点入る
こんな感じで自分達を無理矢理納得させていました。なので俺らの中では真鍮の都はゴミでした。
しばらくしてある1人がやっと間違いに気付き、5色ブームは過ぎ去っていきました。
また時は流れ、長岡に強い奴がいるという情報を得たので皆で行ってみる事にしました。
当時は長岡駅の裏に龍分堂があり、そこでフリーデュエル等をやっていました。俺らはそこで色んな人のプレイやデッキを見て回り、無謀にもそこで一番強そうな奴に勝負を挑みました。
・・・惨敗〜
相手は青パーミでした。こっちの行動はことごとくカウンターされ、相手の銀のワイヴァーン(注6)に殴り殺されるパターンでした。
でもそこでレスポンス(当時はスタックルールが無かった)等のルールがある事を教えて貰い、マジックの奥の深さを知りました。
時は過ぎ、中3の夏。三条で大会があるという事を聞いたので、参加してみようって事で友人と2人で遠征。初めての大会でドキドキしました。
デッキは確か青単。勝ち手段はティムと大口獣だけでした。ヲイ
そんなこんなで大会がスタート。
ペアリングが発表され指定された席に座ると、初戦の相手がいきなり「サイドボード15枚です」と言ってきました。
?
そんな単語は初めて聞きました。ピヨった俺はデッキの上から15枚取って「サイドボードです」って言った記憶があります。あの時の相手の人はさぞかし不思議がった事でしょう。
対戦後、サイドボードは無くてもいいという事を聞いたので、2戦目からはサイドボード無しでやってました。今考えると反則だねコレ。
んでこの日は6回戦やって1-5。素人が作った青単でNWOとか勝てるわけないから。まあ初めてだしまあこんなもんかなって思いました。
この年の秋にウルザズ・サーガが発売しました。日本語版のフォントが従来のものから変更されました。当時は不覚にもカッコイイと思ってしまいました。今だったら絶対ありえんのに。
まあ中学時代はこんなとこです。明日は高校時代の事を書きます。
そいでは。
注1:2赤赤緑緑の飛行4/4でパンプ能力付きのドラゴン。今となっては弱いが、当時中坊だった俺らを引き寄せるには充分でした。
注2:7緑で7/6。そんだけ。でかいねー
注3:黒黒で2/2シャドー。毎ターン可能ならば攻撃に参加。普通に強かったね。
注4:1赤で0/5。シャドーをブロックできる。小粒のクリーチャーも止まるナイス壁でした。
注5:2白2/2で攻撃に行く時だけ先制攻撃。シャドー同士の戦闘じゃまず負けなかった。トーナメントでは見なかったみたいです。
注6:3青青で4/3飛行。水銀のドラゴンと同じ能力。
よってネタが無いので、今日は俺がマジックを始めた時の事を書いてみようと思います。
俺がマジックを始めたのは中2の冬でした。クラスメートがやってるのを見て面白そうだと思ったのがきっかけです。
俺もやってみようと思ってそいつに聞いた所、「スターター(今で言うところのトーナメントパック)とブースターがあればとりあえずはゲームが出来る」との事でした。
中学時代に俺が住んでいた地域ではマジックが売っていなく、通販という行為を知らなかった為、休日に長岡辺りに買いに行く事くらいしか入手する手段はありませんでした。
しばらくしてなんとかマジックを手にした俺は、早速学校で同時に始めた友人とデュエルをしてみました。お互い第5版のスターターとブースター1つずつで組んだデッキなので、当然ナチュラルに5色。早く色マナを揃えた方が勝ち。要は引きゲー。
俺らも馬鹿ではなかったので、追加の基本地形が必要と判断。しかし、この頃はスターターを買うかトレードしてもらうかの2択。流石に後者を選択する事に。
それで身内で一番の古参の奴に頼んだのですが、そいつは足元を見る男でした。基本地形10枚とヴィーアシヴァン・ドラゴン(注1)をトレードさせられた奴もいます。まあ後で価値を知って相当怒ってましたが。
これが俗に言う新規プレイヤーへの「洗礼」という奴です。
別名「シャーク」とも言います。
そんなこんなで時は過ぎ、皆2色や3色でまとまったデッキを作るようになっていきました。
それでも初心者でよくありがちな勘違い、ファッティこそすべてな構築は随所に見られました。「甲鱗のワーム(注2)こそ最強」、っていう時代でした。確かこの頃テンペストが発売しました。
マジック界に大きな衝撃を与えたメカニズム「シャドー」。それは俺らにも大きな衝撃を与える事となったのです。
ダウスィーの殺害者(注3)。ファッティ神精神の俺らにとって、2ターン目に出たコイツは悪そのものでした。頑張って甲鱗のワームを出してもブロックできません。むしろ出す事さえ叶わなかった事も何度もありました。
そして俺らのファッティ神という構築理論は音を立てて崩れて行きました。代わりにシャドー神という構築理論が生まれました。
相手のシャドーは拡散の壁(注4)に強化エンチャントを付けて止め、自分はシャドー同士の戦闘で勝てる生物(サルタリーの槍騎兵(注5)等)で殴るというものです。
そして「シャドーは火力で焼けばいい」という至極当然の事実に皆が気付き始めた頃、俺らの周りで5色デッキが流行りはじめました。
俺らルールでは何故か、無色マナ=好きな色のマナだったので簡単に5色デッキが組めました。
隠れ石は好きな色マナを出しつつクリーチャーに変化、不毛の大地は好きな色マナを出しつつ相手の特殊地形を破壊。強すぎですね。
そうなるとアダーカー荒原等のペインランドはどう説明するのか?っていう話になります。俺らの解釈はこうでした。
アダーカー荒原を例に挙げると、
好きな色マナは出るが、白と青のマナを出した時のみ1点入る
こんな感じで自分達を無理矢理納得させていました。なので俺らの中では真鍮の都はゴミでした。
しばらくしてある1人がやっと間違いに気付き、5色ブームは過ぎ去っていきました。
また時は流れ、長岡に強い奴がいるという情報を得たので皆で行ってみる事にしました。
当時は長岡駅の裏に龍分堂があり、そこでフリーデュエル等をやっていました。俺らはそこで色んな人のプレイやデッキを見て回り、無謀にもそこで一番強そうな奴に勝負を挑みました。
・・・惨敗〜
相手は青パーミでした。こっちの行動はことごとくカウンターされ、相手の銀のワイヴァーン(注6)に殴り殺されるパターンでした。
でもそこでレスポンス(当時はスタックルールが無かった)等のルールがある事を教えて貰い、マジックの奥の深さを知りました。
時は過ぎ、中3の夏。三条で大会があるという事を聞いたので、参加してみようって事で友人と2人で遠征。初めての大会でドキドキしました。
デッキは確か青単。勝ち手段はティムと大口獣だけでした。ヲイ
そんなこんなで大会がスタート。
ペアリングが発表され指定された席に座ると、初戦の相手がいきなり「サイドボード15枚です」と言ってきました。
?
そんな単語は初めて聞きました。ピヨった俺はデッキの上から15枚取って「サイドボードです」って言った記憶があります。あの時の相手の人はさぞかし不思議がった事でしょう。
対戦後、サイドボードは無くてもいいという事を聞いたので、2戦目からはサイドボード無しでやってました。今考えると反則だねコレ。
んでこの日は6回戦やって1-5。素人が作った青単でNWOとか勝てるわけないから。まあ初めてだしまあこんなもんかなって思いました。
この年の秋にウルザズ・サーガが発売しました。日本語版のフォントが従来のものから変更されました。当時は不覚にもカッコイイと思ってしまいました。今だったら絶対ありえんのに。
まあ中学時代はこんなとこです。明日は高校時代の事を書きます。
そいでは。
注1:2赤赤緑緑の飛行4/4でパンプ能力付きのドラゴン。今となっては弱いが、当時中坊だった俺らを引き寄せるには充分でした。
注2:7緑で7/6。そんだけ。でかいねー
注3:黒黒で2/2シャドー。毎ターン可能ならば攻撃に参加。普通に強かったね。
注4:1赤で0/5。シャドーをブロックできる。小粒のクリーチャーも止まるナイス壁でした。
注5:2白2/2で攻撃に行く時だけ先制攻撃。シャドー同士の戦闘じゃまず負けなかった。トーナメントでは見なかったみたいです。
注6:3青青で4/3飛行。水銀のドラゴンと同じ能力。
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